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ギックリ腰は小脳にある腰下肢ソフトのシャットダウン

 痛みに悩む人々が抱える“心身環境因子の問題”は、脳機能画像上に前頭前野や側坐核の機能低下、扁桃体や体性感覚野の過活動、そして“小脳の過活動”として描出され得ます。上の画像はエビデンスのある心理療法として注目を集めているEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)の治療前後における脳機能画像です(NHK「クローズアップ現代」より)。

 ここで、本論テーゼの原点に戻りたいと思います。そもそも「ギックリ腰が極微の刺激介入によって改善してしまうのはなぜか?」という疑問がすべての出発点でした。

 その理由を考えるに当たり、まず小脳の働き-パーセプトロン説、感情や知覚等の統合、個別の運動モデル生成(本論では運動プログラムという用語を使用)等々-に注目したわけですが、さらに以下の私見…。

 小脳は極めて高度な予測制御を行っており時覚にも関与する可能性がある

時覚…“ときかく”と読ませる当会の造語で、英訳すればtime sense。“時間”を感じる感覚。ベンジャミン・リベットが報告した「脳が時間を遡る現象」からジャネーの法則に至るまで、脳内情報処理や時間知覚に関わる全てを総括する概念。

 また過去の経験や記憶に基づき無意識下で実行される“脳内補完”および倒立メガネの実験に見られる“視野の正常化”においても小脳の関与が推断される。

 さらに小脳を摘出したサルの運動準備電位が顕著に減っていたという報告があることから、ベンジャミン・リベットが明かした意思の創出350ミリ秒前に現れる運動準備電位のニューロン発火にも、小脳が関与している可能性がある  

 こうした独自の視点を踏まえ、痛みにまつわるさまざまなミステリー(幻肢痛やCRPS等)を念頭に置きつつ、先に紹介した脳機能画像の小脳所見を受け、導き出された推論は…。

 心身環境因子の影響によって脳内の神経回路に歪み(ネットワークバランスの偏り)が生まれると、やがて小脳の異常活動が引き起こされ…、これが極限に達した時、その一部機能が緊急停止する!

 すなわち小脳が制御する運動プログラムの一部がシャットダウンすると同時に、痛み記憶の激甚再生を引きおこす。これこそがぎっくり腰、四十肩の激痛発作である。

 初発のぎっくり腰は痛み記憶が極大形成(フェーズ・シーケンス)された瞬間と考えられる。急性腰痛の9割が治療せずとも自然回復すると言われているが、これは小脳にまたがる一部運動プログラムのシャットダウンとそれに続く再起動だと考えれば説明がつく
 

 このように捉えることで、近年とくに物理的な負担がない状態で、あるいは軽い作業中に発症するぎっくり腰が増えている事実(私個人の臨床データではそのほとんどがこうしたケース)との整合性が得られます。

ギックリ腰と自己相反

 前述した私個人の体験-人生3回目のぎっくり腰-においては、長いあいだ親元を離れていた私がある事情から急遽実家に戻ることになり、引越しに向けて種々手続きを進めている最中の発症でした(重たい物を持ち上げたわけではなく、あくまでも軽作業中の発症)。

 その渦中…、あまりの痛さに「本当に自説は正しいのか」と思わず疑ってしまったほど…。

 「こんなに凄まじい激痛が“記憶の再生” “脳内補完”だなんて、にわかには信じ難い…。こんなにリアルな痛みを本当に脳は創り出すのか…。信じろと言うほうが無茶な話。世人に理解してもらえないのも道理…。それにしても痛い。痛すぎる…」

 痛みにもがき苦しみながらも、しかし先に紹介したとおり、“認識の大転換”実験によって“自説の証明”に成功したわけですが、痛みが落ち着いたあと、すぐには思い当たらなかった自身の“心身環境因子の問題”とりわけ感情のねじれについて、冷静にじっくりと内省することに…。

 「それにしても何だったのだろう?あれほどの痛みを起こさせる“感情のねじれ”とはいったい?」

 数日ほど内観を極めるなかで「もしかしてそういうことなのかな…」という大凡の見当はついたものの、しかし確信が持てないまま25年ぶりの両親との同居生活が始まりました。すると幼少時から学生時代までの様々な記憶が当時の感情と共に蘇る日々…。無意識の深いところに仕舞い込んで忘れていたものが次々に…。

 そうして半年が経ったころ、自分の中の“感情と論理のねじれ(自己相反)”の正体が明確に覚知されたのでした。

 子供の頃に体験した嫌な記憶、思い出しくない記憶というものは無意識の一番深い場所に保存されやすいことは知っていましたが、まさか自分が…。私は社会人になると同時に独り暮らしを始め、結婚して後も実家と距離を置く生活を送ってきました。体面上は仕事上の都合でしたが…。

 しかし私の無意識には親と一緒に暮らすことへの辟易たる嫌悪感、恐怖心のようなものがくすぶり続けていたのです。そういう感情を無意識下に押し殺していたのです。そういう自分に気づくのに半年を要しました。

 実家に戻ることが決まったとき、表面意識には立派な建前、道義というものがあり、極めて理性的な判断に沿って動いているつもりでしたが、私の心の深いところでは凄まじいほどの葛藤があったのです。

 「本心としては同居したくない、でも同居しなければならない」という“精神のねじれ(自己相反)”を抱える中(表面意識はそれを知覚できない)、引越しに伴う種々手続きや実家への気遣い-両親の心に去来しているであろう様々な思いを酌み取りつつ、さらに家内と両親との関係に対する最大限の配慮等-の限りを尽くしてありとあらゆる気配りをしつつ完璧なる準備を…。
 
 そうした意識活動の亢進がピークに達したとき、私の小脳の一部が緊急停止したのです。苛烈を極める痛み記憶の再生-脳内補完の激化-を伴いつつ…。

 おそらく自己相反を水面下に沈めようと、力づくで抑え込むための極めて理性的な意識活動の亢進こそが、痛み記憶の再生スイッチを入れ得る最大の引きがねになるのだ-Aさんのケースもまさしくその渦中だった-と、私は考えています。過去の経験や記憶に基づいて予測制御的な働きをする脳内補完というメカニズムによって…。

脳の自衛措置

 人間の深層心理に潜む“自己相反”というものは、比較的覚知しやすいもの、そうでないもの、あるいは私のように覚知するまで相応の時間を要するものまで様々な次元があり、さらに前述したとおり披歴する行為の壁や内観力の個人差等も手伝って、通常の問診では分かりにくい-容易に判明し得るものではない-というむつかしさがあります。
 
 しかし私個人の体験からも、そしてこれまで積み上げてきた膨大な臨床例からも、“それ”は確かに存在しているという思いが…。

 ぎっくり腰、四十肩の激痛発症(フローズンショルダー)、頸部の激痛(いわゆる寝違えを含む)、股関節の激痛症例(変形性股関節症を含む)。これらはすべて同じメカニズムであり、その多くが痛み記憶の激甚再生だというのが筆者の考えです。

 様々な心理社会的因子に囲まれている現代人にとって、そもそも自己相反と無縁な人生なんてあり得ない気がしますが、仮に多くの世人がそういう精神状態に置かれているとして、それだけで痛みが出るケースはおそらく少ないと思われます。

 あくまでも自己相反が前提にあって、そこに意識活動の亢進すなわち思考プログラムの過活動が加わったときはじめて、脳の代謝バランスが著しく崩れるのではないか…。


 意識活動の亢進は特定の神経回路に極めて大量の信号が流れ込むことになり…、こうした神経の異常活動によって言わば神経回路がパンクしてしまうような事態を事前に阻止すべく脳の自衛プログラムが発動した結果が運動器の激痛発作だというのが私の見方です。

 実際“激痛の効果”は絶大であり、ほとんどの人間が思考力を奪われる顛末となり、ようやく考えることを止めるのです。思考回路のオーバーヒートを食い止めることができるのです(なかにはそれでも尚考えることを止めない人も…)。


 プライマリケア(初期医療)において、突然発症による激痛症例を診る際、医師が念頭に置くべき4原則があります。破れる、詰まる、裂ける、ねじれる…。このいずれかが血管系、消化器系でおきた場合、重篤な病態が予期されるからです。明らかな外傷機転がないままに自然発症する運動器の激痛発作に関しても、まさしく4原則のうちの一つ“ねじれる”に該当するものだと言えます。

 ただし、同じねじれでも、腸捻転などと違って-ましてや筋肉や骨格のねじれなどでもなく-、その原因は「“精神のねじれ”とそれに伴う意識活動の亢進」なのです。

 動物の脳幹部に電極を挿入し、交感神経と副交感神経を別々に刺激すると、頻脈、遅脈が起こりますが、同時に刺激すると必ず不整脈が起こります。これは動物の精神に強いねじれが発生すると、自律神経の調和が乱れて不整脈が起こることを示唆しています。

 人間の場合“自己相反”が極大化し、大脳~小脳にまたがる神経回路の一部にエラーが生じると、運動プログラムが劣化します。それが如実に現れるのがスポーツの現場です。小脳(もしくは前庭核)の運動プログラムに痛み記憶が侵蝕していない選手であれば、「痛み症状のないスランプ」つまり“単なるスランプ”となり、痛み記憶が侵蝕している選手の場合「痛みを伴うスランプ」となるわけです。

 したがって、プロのアスリートが引退するきっかけは、年齢による衰えを除けば、その多くは“小脳(もしくは前庭核)の運動プログラムの劣化”にあると言うことができます。さらにアスリートがメンタルトレーニングをすることの真の意義は、感情のバランスを維持することで小脳にまたがるニューロン活動の不調和(運動プログラムの劣化)を未然に防ぐことにある、というのが筆者の考えです。

脳機能の総合指揮者「サムシング・ファイン」

 さて、ここで一旦これまでの流れを整理したいと思います。脳内補完を指揮する仮想の存在“サムシングファイン”に再登場いただき、人間の痛みを脳代謝の視点から眺めることで、その生成理由を論じてみたいと思います。

 きわめて複雑化した現代社会において、人類の感受性が多様化するとともにメンタルバランスへの影響を受けやすい個体が増えている。

 そうしたなか、“感情と思考のねじれ(自己相反)”ー本当はこうしたいという深層心部に抱える真情と、しかしこうせざるを得ないという現実との葛藤ーに付随する意識活動の亢進(思考回路の過活動)が引きがねとなり、脳内神経回路の不調和が発生すると、最終的に小脳回路の異常活動を引き起こすと同時に痛みの記憶回路が賦活される…。

 これが私が唱える“痛み記憶の再生理論”である。

 心身環境因子の影響を受けて顕在化する脳内神経活動の偏り、すなわち脳代謝バランスの不均衡が許容範囲を超えると、サムシングファインはこれを是正、回復させるべく他領域の神経回路を賦活させることで代謝バランスを回復させようと企てる。

 そのターゲットとして白羽の矢を立てたのが“痛みの記憶回路”である。

 痛みの回路はひとたび賦活化されると、一定レベル以上の持続性を有し、生体の活動レベルを低下させると同時に意識活動の抑制に繋がる。

 つまり思考回路の過活動を鎮めることで脳代謝バランスの回復が為され得る』


 サムシング・ファインの仕事を考える時、2つの視点から捉えることができます。ひとつは「知覚統合の簡素化および効率化」であり、もうひとつは「脳代謝バランスの監視および回復」です。前者はこれまでの研究で脳内補完と呼ばれているわけですが、後者もまた脳内補完と呼んでいいのではないか…。

 なぜなら後者において補完しようとする対象は「血流・酸素消費・神経ホルモン分泌等の低下減少」ではないかと考えられるからです。

 神経回路の活動異常によって生じた脳代謝バランスの不均衡は、局所の代謝亢進と別領域の代謝低下を引き起こす。

 脳全体の血流量はほぼ一定であるため、局所に過度な血流が集まれば、当然他のどこかの血流が低下することになる。

 このとき血流を含めた代謝が極度に低下した部位を“欠落個所”として見なしたサムシング・ファインがそれを補完すべく血流を調節せんがため、過去の記憶すなわち痛み記憶を形成する神経回路を賦活させ、同回路の血流を増やすことで代謝バランスを変えようとする営為ではないか

 この理論に従えば、うつ病、閾値下うつ、抑うつ状態の患者がもし激痛発作を起こしたなら、それは大うつ病の発症(うつ病の重症化)を回避するために行った脳の自衛措置だと言えます。


 脳梗塞を発症した脳では、直後に反対側の脳(例えば、右脳の一部に梗塞が起きたら、左脳の一部)の血流が増えることが知られています。

 ちなみに梗塞の周辺領域において、脳は即座に新たな神経回路を作り始めるそうです。崖崩れで通れなくなった道路そのものを修復するのではなく、いちはやく迂回路の道路建設を始めるのです。こうした新たな神経回路を形成する働きは神経のリモデリングと呼ばれています。このリモデリングを推し進める現場監督ももしかしたらサムシング・ファインかも…。 
 
 それはさておき、少なくとも脳梗塞直後に反対側の脳の血流を増やしているのは間違いなくサムシング・ファインの仕事です(反対側の血流を増やす理由については自論を持っていますが長くなるので別の機会に詳述します。ここでは脳内の離れた領域同志が同時に活動する同期現象-量子もつれ-の補完とだけ申し上げておきます)。 

 こうした自説を科学的に証明することは、現状において困難かもしれませんが、しかし認知科学の発展はいつの日か必ず、私論の正誤を証明してくれることでしょう。

痛みとは何か?~哲学的思考~

 最後に私の“痛み哲学”を披歴させていただきたいと思います。

 「痛みは生命エネルギーの燃焼現象。太陽に譬えるとフレアーのようなもの。生命が何らかの重大な局面を迎えたときに、命の炎を最大限に燃やす現象。その象徴が出産。新たな命を生み出すとき、それは生命フレアーが極限まで燃え上がるとき。だからこそ分娩時痛が人類最大の痛みなのだ。

 もちろん生命が危機に瀕したときにも同様の現象がおこる。けがをした時も、癌細胞の増殖を許した時も、管腔組織が閉塞した時も…。 

 さらに無意識下の感情が理屈によってねじ伏せられた時も生命フレアーが起こる。おそらくは自己相反こそが脳全体のエネルギーバランスをもっとも狂わせる極めて危うい状況なのだ。

 脳はそれを食い止めるため、一時的に無意識制御系の一部をストップさせる。大脳皮質の機能を奪うわけにはいかないので、小脳の運動プログラムを復元可能なレベルにとどめつつシャットダウンさせる。脳にとっては究極とも言える自己防衛措置。それだけのことを行うのだから生命フレアーがおきて当然である」

 最終的に生命が終わりを迎える時、すなわち命の炎が尽きる最後の瞬間は、痛みという感覚も消えうせ、あらゆる五感が無に帰していく。したがって死ぬ直前にはもはや痛みはない。無感覚の世界からあの世へと旅立つのである。
 

 「ぎっくり腰が精神のねじれをストップさせる緊急避難措置」という自説が本当ならば、実は分娩中の妊婦がぎっくり腰を起こすことは極めて少ないはず。あり得ないと言ってもいいかもしれない。なぜなら生命を生み出す行為というものは感情や理屈を超えた世界だと、私は思うからです。ですから、冒頭の質問にある状況は“あり得ない設定”なのかもしれません。

 現代人が私の考えを受容し、痛みの認識を変えることができたなら、そして【形態の変化≠痛み】と同時に、【痛み=脳の問題】という事実を真に理解することができたなら、どれだけ多くの人々が救われることか。

 世の中にある数多の治療法-電気治療、カイロ、整体、マッサージなど-から、運動系の療法-体操、ストレッチ、ヨガ、ウォーキング、水泳、筋トレなど-。これらは結局何をしているのかと言えば、それぞれのやり方で脳のプログラムにアクセスしようとしているに過ぎません。

 方法は違えども最終的に働きかけているのはあくまでも“脳”なのです。だからこそ、そのそれぞれに良くなる人々が存在しているのです。方法の数だけ原因があるのではなく、あらゆる療法のアプローチ先が実は“同じ”だから、痛み治療の世界にはたくさんの名人、達人と呼ばれる治療家がいるということです。 

 良くなる人たちに現れる変化は見た目にはハード(肉体)の領域として映りますが、実際はソフト(脳のシステム)が変わった“結果”に過ぎません。

 脳への介入が成功すれば、すなわち修正プログラムのインストールに成功すれば自ずと結果がついてくるわけですが、しかし治療や運動の最中に痛み記憶が再生され得るやり方-強い刺激、強い伸張運動、速い他動運動等を加えることで痛み記憶の再生回路を遮断させようとする手法-にあっては、例えばCRPS(RSD)準備状態にある生体-感受性が亢進している脳-には絶対的に禁忌…。

 疼痛感受性の増している脳に対しては、「痛みを伴う修正プログラムのインストール」は成功しません

 過度な刺激はプログラムの書き換えをするどころか、かえって痛み記憶の強化を招きかねない。痛みの最終ターゲットは脳である以上、肉体レベルでのリスクを限りなくゼロに抑えたほうが、より安全に、より確実に脳にアクセスすることができます。プログラムの書き換えがよりスムースに行えるということです。

 このあとも、引き続き「痛み記憶の再生」について、私なりの考察を続けてまいりたいと思います。稚拙な理論ではありますが、できれば今後ともお付き合いいただければ幸いです。ご清聴ありがとうございました。
   
            2012年12月8日   三上敦士

 ➡痛み記憶の再生理論(前編)

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