ソフト論の認知を妨げる障壁

 近年、痛みに対する歴史的な見直し作業が粛々と進められています。

 世界疼痛医学会(IASP)において、痛みは従来のハード論(特定の侵害受容器だけが痛みの発生源)で完結できるようなシンプルな問題ではないことが明確に支持されています(詳しくはこちらのページ)。

 当会が推し進める痛みのパラダイムシフト(痛みの臨床ではソフトペインが多くを占める)は世界の潮流であると同時に、あらゆる医療がこれを避けて通ることは困難と思われます。

 ただ、そこには見えない壁、とくに一般人にとって巨大な壁が立ちはだかっており、当会はこれを“ソフト認知の壁”と呼んでいます。つまり医療者はともかく、一般の方にとって痛みのソフト論を受容することは相当にむつかしい…。

 痛みに対しては、侵害受容器の反応が絶対的なものではなく、脳の次元を踏まえた相対的な視点が求められる(これも絶対医学から相対医学へのシフトのひとつ)わけですが、既存のハード論から脱却してソフト論に軸足を移す、いわば認知の切り替えに対しては、これを阻む巨大な壁がいくつも存在しています。

 たとえば心身統合療法の現場で、痛みのソフト論を患者に提示した際、そこには原因論と方法論の二つの壁が聳え立っています。

 “原因論の壁”にはハローヒューリスティックの壁、白衣ラベリングの壁、テレビCMの壁があり、“方法論の壁”にも同じくハローヒューリスティックの壁があり、そのほかに回復交絡因子の壁、ハード論の壁、PtoBの壁、脳膚相関の壁があります。

ソフト認知の壁について個別の解説↓↓↓

 一般人が人生の中で受け取ってきた情報の90%以上がハード論であること、現在もなお痛みに関わる情報の多くがハード論であることを踏まえると、ソフト認知の壁がいかに高いものであるかは容易に想像がつくと思います。

 それでも比較的若い世代ではネットを通じて、たとえば当会のような情報を目にする場面もあり得るでしょうけれども、ネットに後ろ向きな高齢世代ではそれすらありません。

 なおかつ高齢になるにしたがって認知的柔軟性が徐々に失われ、ついには認知的硬直性の状態に移行しやすいことを鑑みると(全ての高齢者がそうなるわけではありません)、世代によってソフト認知の壁の高さに違いがあることがお分かりいただけると思います。

 人生の早い時期から、ソフト論を目にしてきた人はそうでない人に比べて、ソフト認知の壁が低くなる傾向が推断されます。

ソフト認知の壁が高い日本~その理由に迫る①~

 ソフト認知の壁は国や地域によっても、その高さが異なります。

 痛みのパラダイムシフトが進んだとしても、そのフィードバックの恩恵に与れる国と、与れない国に分かれる未来像はあまり想像したくありませんが、こと日本に関して言えば、筆者の感覚はポジティブではありません。

 特にバブル崩壊後の日本は、総じて新しい価値観、世界観を受け入れる積極性や柔軟性に欠ける傾向が見受けられるからです。ものづくり国家がスマホに象徴される家電シェアの惨敗を招いた事実がその証左と言えましょう。

 そこに追い打ちをかけるようにして、ITの後進国に成り下がってしまった現状…。人口減少を食い止める施策に注力することなく、世界の中でも最速スピードで超高齢化社会を迎えてしまったこと、同時に国際競争力ランキング(31位)ならびに国民一人あたりのGDPランキング(29位)の低迷ぶり…。

 こうした凋落の原因として、真っ先に思い浮かぶのは言語政策の問題です。コンピュータ社会ではプログラミング言語は英語であり、政治経済におけるグローバル化社会に適応するためにも、そして国際競争力を高めるためにも日本人のバイリンガル化は欠かせない要因のひとつ(社内の英語公用化に踏み切った楽天の成功事例は、世界の140以上の大学で紹介されている)。

 にも拘らず、この国はモノリンガル国家のスタンスを変えなかった。これが世界の潮流、時代の流れに乗り遅れた真の原因ではないか…。

 楽天の事例は少数派であり、多くの企業が英語公用化に失敗していることを考えると、企業努力に任せるのではなく、やはり国を挙げて取り組むべき課題と思われます。

 言語政策に関する真偽はともかく、なぜ日本は時流を読み誤ったのか?その裏に「認知的柔軟性の低下」が隠れているのではないかという懸念があります。

 今のまま日本人のメンタリティが変わらないのなら、痛みのソフト論が世間に周知徹底される未来は永遠にやってこないかもしれない…。そういう危機感の強さが、筆者の原動力の一つになっています。

ソフト認知の壁が高い日本~その理由に迫る②~

 世界的大ベストセラーになった「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ博士は、私たち人類すなわちホモサピエンスがネアンデルタール人との生存競争に勝利した真の理由は、虚構(フィクション)を生み出す力があったからだと説明しています。

 想像上の産物を想い描く力を持つことで、コミュニティの連帯感を創り出すことに成功し、これが集団としての強さに昇華したというロジックであり、ネアンデルタール人はこうした想像力を持たなかったゆえに滅んだのではないかという解釈です。

 神話を創ることができたホモサピエンスと、神話を創れなかったネアンデルタール人という対比です。

 これに対し、筆者の考えは、「ネアンデルタール人の中にも想像力を獲得する個体はごく少数ながらも存在したのではないか?もしそうであるなら、勝敗を分けた原因はフィクションを語る側ではなく、これを受け入れる側の問題だったのではないか?神話が誕生したとしても、それを信じる個体が少なければ集団としての力は発揮されない。受け入れる個体数がホモサピエンスでは多かったということが勝敗を決めた理由ではないか」

 新しい価値観や世界観はいつの時代でも泉のごとく湧き出てくるものです。源泉がそこにあっても、そこに身を浸してみようという積極性と柔軟性がなければ、源泉は永遠にただのお湯です。

 目の前の源泉がどのような性質のものか確かめようとするメンタリティを、当会は認知的柔軟性と呼んでいます。 

 新しい情報に触れた時、頭ごなしに否定するのではなく、とりあえず聞いてみようという柔軟な姿勢を指します。

 認知的柔軟性の類義語として“好奇心”、“積極性”、“新奇探索性”などを挙げることができ、医療者に限って言えば“臨床力”、“俯瞰力”、“メタ認知力”、“バイアス回避能力”などが含まれます。詳しくは「認知的柔軟性とは何か?」をご覧ください。

 かつて世界の頂点をかけて米国と競い合った日本経済…、その終焉(バブル崩壊)。国家転覆を狙ったカルト集団による無差別テロ(地下鉄サリン事件)。

 そして阪神淡路大震災、東日本大震災、新型コロナパンデミックという歴史的な負の連鎖反応が続くなか、国力の低下を招くと同時に、不安感と警戒感を肥大化させたことで、積極性が失われ、これが結果的に認知的柔軟性の劣化につながっているのでないかと、あくまでも個人的な見解ですが、このように感じています。

 こうした無意識に抱える防御的な心性が、何事に対しても消極的な国民性につながっているように思えてならないのです。マスクニケーションの記事で触れているとおり、日本には不安遺伝子を持つ人が多く、冒険遺伝子を持つ人が少ないという特徴も踏まえ…。

「第二次認知革命」が既に始まっている

 先に紹介したサピエンス全史の著者は、人類進化の歴史を総括して、3つの革命があったと論じでいます。その内訳は起きた順番に「認知革命」「農業革命」「科学革命」です。詳しくは本書に譲ります(まだ読んでいないという方には一読をお薦めします)が、最初の認知革命というのは前述したフィクション能力の獲得を指します。

 今という時代は社会システムの大転換期であり、DXによるAI化はますます加速するでしょう。今を生きる私たち人類は、もしかすると「第二次認知革命」の只中にいるのかもしれません。WEB3(3.0)やDAOへの順応がその試金石となる…。

 明らかに現人類は未知のステージに上ろうとしています。認知的柔軟性に関わる格差は今後ますます社会の在り様にダイレクトに反映されていきます。ステージに上る国と上らない国の差は広がっていくばかり…。

 認知科学の発展によって、痛みのソフト論のアップデートが猛烈な勢いで進むなか、日本だけが旧態依然とした痛みのハード論を信奉する社会であり続けるのなら、日本人は現代のネアンデルタール人になる危険があります。

 あなたはイーロン・マスク氏の発言(日本は人口減少を食い止めないと、このままでは滅んでしまう)をジョークだと受け流しますか?

 筆者はジョークだとは思いません…。

 

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