医療者と患者のあいだにある親和性とその脆さ

 5年前、60代後半の主婦Aさんは「担当医から脊柱管狭窄症の手術を勧められているが迷っている」という趣旨で受診されました。それまで10軒近い医療機関で様々な治療を受けてきたがまったく改善しないとの由。

 なぜか初診時からリアクション良好で、幸い2ヶ月ほどの通院を経て改善しました。人間的な相性という次元(対人レベルの親和性)もあり、Aさんは当方に絶大な信頼感を抱くようになりました。

 痛みの改善が信頼感をもたらしたのか?それとも信頼感が痛みの改善をもたらしたのか?といったチキンオアザエッグについては、おそらく後者だろうと考えています。CSBM(認知科学に基づく医療)にあっては後者を支持する知見が多い…。例えば、脳の角回に由来する印象形成といった次元…。とにかく最初から当方と馬が合った。

 以来、Aさんは周囲の知人友人に当院を紹介したり、手作り料理や旅先でのおみやげを受付に届けたり…、いわゆるそっち系の患者さん(熱烈なサポーター)と化しました。

 しかし、こうした当方との蜜月関係は3年で幕を閉じることになります。しかも衝撃的な展開で…。

心理的ストレスと血糖値の関係という“認知の壁”

 Aさんはかかりつけの内科医から糖尿病の一歩手前と言われており、さらに糖尿病をきっかけに亡くなった親類縁者が3人いたことから、血糖値不安症とも言うべき精神状態を抱えていました。

 定期的な検査で判明するHbA1cの値に対して、毎回のように極めてナーバスな反応を示し、これがかえって本人のメンタルバランスを狂わすという究極の悪循環、負のループに陥っていたのです。

 最初の2年くらいは、痛みの改善というポジティブな影響が前面に現れる形で、穏やかな診察風景が続いていたのですが、3年近く経ったころから、血糖値の問題を吐露する場面が増えていき、やがて「私の命はあと数年もない」といった悲観的な発言をするようになりました。

 Aさんは思い込みの激しいタイプで、とくに自身の血糖値コントロールに対して硬直的な見解を持っていたため、私はその話題に対しては距離を置くスタンスでいました。下手に口出しできないという感覚…。

 しかし悪化の一途をたどる本人のメンタルを前にして、もはやこれ以上黙っていられないという思いから、あるとき「血糖値不安→心理的ストレス→血糖値上昇→不安→ストレス→血糖値上昇」という負のループについて解説し、血糖値というものは心理的ストレスと密接に連動することを力説しました。

 その2日後、電話の受話器越しに「次回の予約をキャンセルします」と怒気の含んだ声…。あんなに良好だった関係が一瞬にして瓦解しました。

 医療者と患者のあいだにある人間的な相性の限界、すなわち“はかなき親和性”を物語る出来事でした。

認知の壁に挑む“総合臨床”の意義

 冷静に振り返ると、徴候は以前からありました。Aさんは基本的に心身相関に関わる話題はタブーであり、痛みのソフト論も当然NGでした。ですから、踏むべくして踏んだ地雷だったのかもしれません。

 しかし、私はそもそも世の中の大多数の内科医が精神的ストレスと血糖値の関係をきちんと啓蒙していない現状に大いなる疑問を感じています。

 薬ありきという絶対医学の闇の部分がここにも現れている気がしてなりません。もっと個人差の次元に目を向けてフォローする流れがあれば、「この患者さんは血糖値に対して非常にナーバスな傾向が見られるから、悲観的にならないように注意しよう」みたいなスタンスがあって然るべき…。

 「絶対的な基準値と薬だけで管理」という絶対医学の闇が、結果的にAさんを追い詰めることになったというのが私の考えです。

 ある民放の番組内で、精神的ストレスが血糖値スパイクを引き起こすことを明確に示したシーンがありましたので、下に貼り付けておきます。あのとき、Aさんに対して「さりげなくこの動画を見せる」という手法を採っていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれない…。「たられば」は無意味と分かっていても、そう思わずにはいられない忌まわしき認知の壁…
 
 現状の絶対医学においては、個体差を考慮した心身相関ケアの普及がむつかしい…、同時に認知の壁も崩せないのであれば、総合臨床家たる我々がやることに意義があるのではないか、これが当会が「総合臨床アプローチ」を掲げる理由のひとつです。

         2分弱の動画です

 相対医学にシフトした未来においては、Aさんのように数値管理と薬物管理にガチガチに縛られて身動きが取れなくなるような患者は相当に減るはず…

 総合臨床において食事の問題は重要な位置を閉めます。当会ではそうした食事に関わる助言や指導をフードリングと呼んでいます。➡こちらのページ「食事療法の最新医学~フードリングの基礎~」